冨永愛のオーラがなぜすごい?裸で包丁を持ち思うこと

モデルでタレントの冨永愛さんが初の自伝『Ai 愛なんて大っ嫌い』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)を出版しました。

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冨永愛さんのあの堂々たる姿、オーラはどこから来るんだろう?

その根源がわかるかもしれない彼女の壮絶人生が書かれている本です。

彼女の幼少期はとてつもなく貧しかったそうで母は結婚と離婚を繰り返し、3人姉妹の父親は全員違うとのこと。

また姉妹には関係のない男性が、常に入れ替わり同居するような生活だったといいます。

「母は、ほとんど家にいなかった。どこでどういう仕事をしていたのか知らない。(略)たまに帰ってくるときには、酔っぱらっていた」

 小学校4年生のとき、学校でいじめられると言っても関心を示さない母。

「お母さん、
 呼びかけても、呼びかけても、あなたは答えてくれない」

 そんな母を憎みながらも、母に従うしか生きる術のない幼い冨永。そして孤独感を深めていく。

「心はどんどん閉じこもってしまって、“本当のわたし”は、誰にも見せない、誰にも知らせられない、と思うようになった」

ここだけでも泣けてしまいます・・

母に甘えたい。本当の友人も欲しい。それなのに誰も分かってくれない。そんな感情が高ぶったある日、中学生だった冨永さんは自殺未遂を図ったそうです。

「わたしは包丁を持ったまま風呂場に入り、空の風呂桶の中で身体を折り畳んだ。右手につかんだ包丁の刃を顔の前に立てて、しげしげとよく見た」
「左の手首に刃を押し当てた。やろう。右手に力を込めた」

 しかし死ぬことへの恐怖に、冨永さんは自殺を思い止まる。

「裸でバスタブの中で膝を抱え込み、わんわん泣いた」

 そして冨永はこのとき決意したという。

「みんな、みんな、ぶっ殺してやる!」と。

凄過ぎます・・・

そして今でもその感情があのオーラを出しているのかと思いきや、いろいろな経緯から(そこは本編をお読みください)

「わたしをなじったやつらのことや復讐心など、いつのまにか消えてしまっていることに気づいた」
「憎しみに明け暮れていた十代後半。自分自身をのろい、自己を否定し、自身を愛してこなかったこれまでの生き方。そして母への憎悪。それらすべてが浄化されていくのを感じた」

と書かれています。

そんな経験から冨永さんの存在感が放たれているんですね。

軽々しく言っちゃいけないのかもしれませんが言わせてください。

カッコいいです!!

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